竹内まりやの歌の名曲は何?プロフィールと山下達郎との出会いも一緒にご紹介。

今や竹内まりやの歌の名曲は、パっと頭に浮かぶくらいメジャーで、彼女のプロフィールや
山下達郎との出会いを調べてみたくなりましたので、皆さんと一緒に確認していきましょう。

竹内まりやさんの歌の名曲は?

竹内まりやさんの歌と言えば、「SEPTEMBER」と「不思議にピーチパイ」ですね。その他、たくさんありますが、「駅」、「カムフラージュ」、「幸せのものさし」が私の中では、名曲だと思います。又、TVの主題歌としても、一部抜粋となりますが、以下のものがあります。
1)日本テレビ系の火曜サスペンス劇場の8代目主題歌として「シングル・アゲイン」、9代目主題歌として「告白」が採用。
2)TBS系木曜ドラマの主題歌として「家(うち)に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」が採用。
3)フジテレビ系木曜劇場『眠れる森』の主題歌として「カムフラージュ」が採用。
その他、化粧品やビール他CMにも採用されている曲は多く、今や当たり前のような存在となっていますね。

ミュージシャンの曲がCMや主題歌になると一気にメジャーになりますね。ご本人にとってはとてもいい事ではありますが、恐らく音楽以外のお仕事の依頼も当然くるのだと思います。やはり「SEPTEMBER」や「不思議なピーチパイ」は、良く世間で流れていた曲ですが、それから一旦TV画面から竹内まりやさんは、あまり出なくなったなぁっと思っていたら入院までされて、一旦芸能活動をリセットされていたのですね。色々な自分自身との葛藤があったのだと思われます。

竹内まりやさんのプロフィールは?

プロフィール

氏  名:竹内まりや
生年月日:1955年3月20日
出 身 地:島根県出雲市
学  歴:島根県立大社高等学校卒業、慶應義塾大学文学部中退
職  業:ミュージシャン(シンガーソングライター)
音楽プロデューサー
担当楽器:主は、ボーカル(ピアノ、ギター)
事 務 所 :株式会社スマイルカンパニー
レコード会社:株式会社ワーナーミュージック・ジャパン

経歴について

高校時代には、国際教育交流団体の交換留学制度を利用して、3年生の半ばくらい迄米国イリノイ州のロックフォールズにある四年制公立高校「ロックフォールズ高等学校」で1年間の留学をして、コーラス部に入られていた。大学時代には、バンド活動をすると決めてられたようで、ジャンルに問わずに音楽と
ライブの演奏を楽しむリアルマッコイズというバンドサークルに入部していた。又、当時3年生の杉真理さんがリーダーを務めるバンド「PEOPLE」では、キーボードとバックコーラスを担当されていたが、プロの歌手を目指していた訳ではなく、当初は音楽雑誌の編集者になりたいと思っていたようです。

1978年に、RCAレコードと契約し、11月に「戻っておいで・私の時」でデビューシングルをリリース。
1979年に、3rdシングル「SEPTEMBER」をリリースで、日本歌謡大賞・日本レコード対象等で、新人賞を受賞し一躍メジャーになる。
1980年に、4rdシングル「不思議にピーチパイ」が更に大ヒット。
1981年に、5thアルバムをリリースするも、休養宣言。
1982年に、山下達朗と結婚し、休養するも数々のアーティストに作家として多くの作品を提供し、現在に至る。

音楽雑誌の編集者を目指してしたのが、やはり何かしら音楽には携わってられたので、そこからのデビューのきっかけがあったのだと思います。1970年代と言えば、今で言うPOPS系(ニューミュージック等)、ROCK系、FUSION系、その他の色々なバンドが結成されて出てこられました。ある意味、かなり幅広いジャンルの音楽を気軽に聞けた環境にあったので、ジャンルにとらわれないバンドが良かったのかと考えられます。

竹内まりやさんが影響を受けたミュージシャンと音楽ジャンルは?

人生で最も影響を受けたのは、ビートルズだったようです。音楽的な原点では、60年代の欧米ポップスで、ニール・セダカやデル・シャノン等の作品で、弘田三枝子さんや坂本九さん、ザ・ピーナッツ等の日本人歌手が訳詞して歌っていたオールディーズとも言われています。その他、ウェストコーストロックのザ・バンドやフォークシンガーの吉田卓郎さんやキャロル・キングも好きなミュージシャンのようです。

私は、かろうじて弘田三枝子さんや坂本九さん、ザ・ピーナッツは、よくTVで拝見はしていた記憶がありますが、どのようなジャンルかまではわかりませんでした。確かに、普通の歌謡曲とは少し違ったような感じはあり、鮮明には覚えていませんが、メロディーラインが綺麗な曲が多かったように思います。なので、竹内まりやさんの曲は、メロディーラインが綺麗な曲が多いのだとも感じます。

竹内まりやさんと山下達郎さんとの出会いは?

もともとお二人は、事務所の先輩(山下達郎)と後輩(竹内まりや)という間だったよです。1978年以降は、TV出演も多くなりアイドル的な仕事が増え、各々は精一杯やられていたようですが、帰宅して冷静になると「何をしていたのだろう?」と悲しい気持ちになり自問自答してようです。そんな中、音楽界で頼れる先輩の山下達朗に、このようなことをよく相談にのってもらっていたようで、「この先に君が望むような未来はない」とはっきりと言われたようです。音楽的活動をやらせてもらえない自分の相談できる頼り甲斐ある山下達朗は、仕事と音楽に対する誠実さを更に知ることで、特別な存在へと変わっていき、特に彼女が提供する曲の多重コーラスを山下達朗は、徹夜で取り組んでいた時が更に、気持ちの切り替わった瞬間で二人の距離が縮まったようです。

所属事務所としては、仕事は何でも受けて、タレントやミュージシャンに対応させないと存続できないので、色々なことにチャレンジをしていくのだとも思います。ただ、彼女の場合は、音楽的活動の思いが強かったので、本来の自分の進むべき道とかけ離れていくように感じ、芸能活動としては一旦リセットされたのだと思います。その結果、山下達朗さんとの出会いがあり、ご結婚されることにより、本来の音楽活動をすることができ、今の竹内まりやさんがあるのだとも思いますね。 

まとめ

竹内まりやさんは、素晴らしい音楽センスをお持ちなのに、一時は自分本位でないアイドル的な活動へ進みかけ、何度も自問自答されて体調まで崩され大変な思いをされたことで、仕事と音楽に対する強い山下達朗さんと一緒になれ、今もブレずに本来のご自身の持たれていた力を存分に発揮され、子育てもされながらも素晴らしい楽曲を提供され続けられているのだと思います。夫婦一丸となっての本当の音楽家族だと思います。私自身にとっては、大好きなミュージシャンの一人なので、また新たな歌が聞けるのを楽しみにしております。最後までお読み頂き有難うございました。

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