エリッククラプトンの名曲、使用しているギターは? 若い頃の彼も調査。

エリッククラプトンは、色々な名曲で世界で有名でも、使用されていたギターや
彼の若い頃についても調べてみました。

エリッククラプトンの名曲は?

数ある楽曲の中から、今回は5曲を紹介致します。

1)いとしのレイラ
12世紀のペルシゃの詩人「ニザーミー・ギャンジェヴィー」による「ライラとマジュヌーン」から刺激を受けて作られた曲です。ロマンチックなラブストーリーで、青年マジュヌーンが美しいライラと情熱的な恋に落ちるが、彼女の父親から結婚を反対され、欲望のままに気が狂ってしまう話。当時のクラプトンも親友ジョージ・ハリソンの妻パティ・ボイドに恋愛感情を持った苦悩も含まれて、この曲に表現されている。
2)Wonderful Tonight
その後、クラプトンは、パティ・ボイドと結婚し、彼女のために作曲したラブバラードの曲です。
3)I shot the sheriff
Bob Marley(1977年セカンドアルバムに収録)のカバー曲となります。この頃、まだレゲエ音楽というものが、メジャーではなかったですが、クラプトンがこの曲をカパーしたことで、この曲がヒットし、Bob Marley自身やレゲエ音楽がメジャーになるきっかけとなったようです。
4)Tears in Heaven
1986年に、イタリア人女優「ロリ・デル・サント」と結婚し、息子「コナー」を授かったが、1991年に4歳半だった「コナー」が母親の自宅マンションの階段の踊り場の窓から転落し亡くなった。かなり悲劇的な事態にショックを受けたクラプトンだが、息子の死を悼んで作られた曲である。「コナー」に捧げるこの曲を作ることで、その悲しみを乗り越えて、本格的に音楽シーンに復帰されたようです。 
5)Change the world
アメリカのミュージシャン「トミー・シムズ」「ゴードン・ケネディ」「ウェイン・カークパトリック」が制作した曲で、1996年の映画「フェノミナン」の主題歌としてエリッククラプトンのバージョンとして歌われた。

クラプトンは、音楽活動も色々な経験をされながら、又、波乱万丈な人生を送られてきたからこそ、素晴らしい曲ができあがっただと思われます。私自身の知らなかった曲も、今現在でもとても新鮮で聞くことができますね。根本は、ブルースロックですが、色々な音楽ジャンルも取り入れながら、曲作りも
されているようにも感じます。

エリッククラプトンの使用しているギターは?

彼が使用されていたギターは、まずは、Fender社・ストラトキャスターです。そのギターに名づけられた”ブラッキー”:黒色のオプションカラーと、”ブラウニー”:ブラウンサンバーストの2種類を保有されていましたが、ブラッキーを主には使用されていたようです。次に、ヤドバーズの仕事で貯めたお金で、ロンドンの楽器店にて1964年製の新品Gibson社・ES335(ES:エレクトリック・スパニッシュ)を購入し、約40年間使用した。そして、Gibson社・レスポールです。1966年代にジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトンというバンドでマーシャルアンプとの組合せによるディストーションサウンドで使用されていた。又、Gibson社・SG(ソリッドギター)で、クリームというバンド時代に主に使用した機種となります。外観は、サイデリックペイントを施している。

確かに、私も最初憧れたギターは、ストラトキャスターを購入しました。その後、フュージョンが流行り出し、YAMAHAのSGを購入し、ストラトキャスターとは、一味違った音がとても気にいっていました。恐らくは、Gibson社のSGを真似てYAMAHAブランドで出されたと思います。やはり、Gibson社のES335は、私も何をおいても憧れでしたが、高額で結局は購入できず、YAMAHAのSA-2000で妥協しましたが、セミアコの独特な音質でかなりお気に入りのギターとなっています。いずれにしても、ギターの種類によって、色々と音質が違うので、奥深いものがあります。

エリッククラプトンのプロフィールや経歴は?

プロフィール

出 生 名: エリック・パトリック・クラプトン
生年月日:1945年3月30日(78歳)
出 身 地:イングランド・ロンドン近郊サリー州ギルフォード市
学  歴:ホリーフィールド・スクール卒業、キングストン美術学校中退
職  業:ミュージシャン(シンガーソングライター)、ギターリスト、音楽プロデューサー
担当楽器:主は、ボーカル(ギター)
レーベル:ポリドール、アトコ、ワーナーブラザーズ、ダック、リプリーズ等

経歴について

1963年より、ヤドバーズに参加し1965年まで活動を共にした。シカゴ・ブルースと主要なブルースギターリストの影響を統合した独自の音楽スタイルを作り上げ、イギリスの音楽で話題のギターリストの一人となった。1965年には、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズに加入し一度は脱退するも、再度加入。1966年には、クリームを結成し、この頃からシンガーソングライター、ギターリストとして活躍していき、約2年半程度で数百万のレコードを売上げ成功を収めて、アメリカとヨーロッパでライブを開催。1968年に解散となり、1969年にブラインド・フェイスというグループを結成し、ロンドンでデビューし、アメリカツアーを実施し、チケットも完売。しかしながら、約7ヶ月あまりで解散となる。その後、デラニー&ボニー&フレンズのサポートメンバーとしてツアーを実施。この頃から、ユニセフのチャリティーコンサートに出演されていたようです。又、初のソロアルバム「エリッククラプトン・ソロ」も録音され、色々なミュージシャンとのレコーディングも行っていた。1970年には、4人でアメリかのロックバンド「デレク・アンド・ザ・ドミノス」を結成し、「いとしのレイラ」が完成した。初ステージは、ベンジャミン・スポック博士の市民の自由法的防衛基金が支援するチャリティコンサートだった。そのバンドも1971年に解散し、その後に重度のヘロイン中毒療養のため、約3年間活動を休止。それ以降は、ソロ活動として色々な曲も書き、活躍されていった。

この経歴からでもわかるように、色々な活動をされてきたので、独自のスタイルが確率されたのだと思います。当時、他のロック音楽も聞いていましたが、彼の音楽は、インパクトがあり、あまり飽きない感じの楽曲だったと記憶しています。

エリッククラプトンの若い頃は?

幼い頃から、ブルースの影響を受けており、13歳頃からギターを始め、レコードに合わせて、ブルースコードを学びながら長時間練習をされていたようです。中学を卒業し、キングストン美術学校へ入学するも、音楽に重点を置きすぎたため、学校は中退となった。中学時代から、かなり音楽にのめり込んでられたので、ギターテクニックはかなりのレベルとなっており、16歳頃には、ロンドン市街地等にてストリートパフォーマンスを始められ、1962年頃には、ブルース好きの人とデュオで、サリー州のパブ等のライブにも出演されていった。

彼が心底打込めたものが音楽で、ギターがとっかかりで、そこから色々な音楽や音楽の仲間との出会いがあり、基盤ができあがったのでは思われます。私自身の中学時代は、特に何も打込めたものがなかったように記憶していますので、彼の若い頃からのチャレンジ精神は、すごいとしか言いようがありませんね。

まとめ

クラプトンは、ある時期にドラッグ中毒やアルコール依存症にまでいき、復活したかと思えば、息子さんを突然亡くされるという事故でのショック。それにも打ち勝って再度、音楽に本格的に復活される彼は、音楽という人生一体のものがあったからだとも思います。今までの人生感が、全ての楽曲に表現されているのだとも感じました。かなり高齢にもなられていますが、今だライブをされているクラプトンは、私達の青春時代の憧れのロックミュージシャンなので、今後も元気で頑張ってほしいと思います。最後までお読み頂き有難うございました。

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